資料名(ヨミ) | スケートテンカイサイノキョウリョクニタイスルオレイジョウ・オモテメン |
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ジャンル名 | その他 |
時代 | 昭和(戦後) |
西暦(和暦) | |
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大会大分類名 | |
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施設名・地名 | |
開催場所マップ | |
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解説 | 昭和30年代頃 スケート展の開催に協力した下斗米豊次郎氏へ送られた御礼状。 (八戸市立図書館所蔵) 下斗米豊次郎氏 館村(現八戸市売市)で、醤油醸造業を営む亀次郎・イシの長男として生まれた。八戸中学時代に陸上やスケート、柔道の選手として活躍し、特に柔道部では「知性の下斗米」として知られた。卒業後は八戸スケート協会設立に参画、また、青森県柔道有段者会三戸支部役員を務めるなど、徐々に八戸地方のスポーツ界を支える存在となっていく。 昭和5年(1930)、第一回全日本スピードスケート選手権競技大会が八戸の長根リンクで開催された際、リンク造りを担当した豊次郎は、大会直前に土埃で汚れてしまったリンクを大カンナで削り「油氷」に仕上げた。この努力などにより、多くの日本記録が誕生して大会は大成功をおさめた。以降、長根リンクの名が全国に知れ渡り、豊次郎を中心とするリンク開発と整備も高く評価された。そして昭和25年、長根リンクは豊次郎らの構想により総合スケート場として整備されるのである。 県スケート連盟副会長、市スケート協会理事長など数々の要職を歴任し、氷都八戸の礎を築くとともに、その発展に大きく貢献した豊次郎。彼のリンクを愛し育てる精神は、時を経た今も「長根」に受け継がれている。 (八戸市HP 八戸市ゆかりの先人たちより) |
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関連ワード | 八戸市立図書館、 下斗米豊次郎、 御礼状 |
資料ID | 001SAS_00195 |