検索結果|詳細

 

吉田産業七十年史、スポーツ部の活躍 2

資料名(ヨミ) ヨシダサンギョウ70ネンシ、スポーツブノカツヤク 2
ジャンル名 その他
時代 平成
西暦(和暦) 1994年(平成6年)
大会種別
大会大分類名
大会名
開催期間
開催場所
施設名・地名
開催場所マップ
競技種別 スピードスケート
競技名
競技実施日
競技実施時代
選手名
解説 吉田産業七十年史(平成6年4月発行)より

・アイスホッケー部
八戸市は、わが国のスケートのメッカとも言われ、数々の名選手を生んでいる。
昭和40年代に入ると、八戸市スケート協会を中心にアイスホッケーの実業団チームを作ろうという動きが強まり、
41年には第1回八戸市内実業団アイスホッケー大会がひらかれることになった。
この機運に乗り、自らもプレーヤーとしての実績を持ち、アイスホッケーをこよなく愛していた吉田耕造常務の熱心な働きにより、同年、当社にアイスホッケー部が誕生した。
当時社内には、アイスホッケー経験者が5名しかいなかったので、八戸スケート協会や大学OB会等に依頼をして選手を補強し、チームとしての外形を整えた。
43年11月、青森県実業団アイスホッケー連盟が結成されたのを機会に当社は、練習量の増加や強化合宿のほか、有力選手のスカウトなど本格的なチーム強化に乗り出した。
こうした会社側の積極的なバックアップにより、翌年1月の第24回国体予選を勝ち抜くなどチームの実力は確実に増していった。
そして45年2月、京都伏見桃山リンクで行われた「第3回全国選抜社会人アイスホッケー競技大会」において、全国レベルの大会で初めての優勝を飾ったのである。

・スピードスケート部
63年4月に創部された。それまでは社員が個人レースに出場するだけにとどまり、創部には至ってなかった。
しかし、63年に入ると実業団チームとしてフルエントリーするために必要最小限の4名の有力選手をそろえることができ、これを機会に創部の運びとなったのであった。
県内では、スピードスケート部を有している企業は当社のみということで注目を浴びた。この期待にこたえ、創部1年目には「第28回全日本実業団スピードスケート競技会」において団体3位となった。
URL(WEBリソース)
URL(YouTube)
関連ワード 吉田産業70年史アイスホッケースピードスケート
資料ID 042SAS_00240