資料名(ヨミ) | コトシノスケートカイ カンタロウツツミノミズガカレテ・・・スケートヒメガダイヒカン (ハチノヘシンブン・1924ネン12ガツ11カケイサイ) |
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ジャンル名 | 新聞記事 |
時代 | 大正 |
西暦(和暦) | 1924年(大正13年) |
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施設名・地名 | 類家堤(勘太郎堤) |
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解説 | はちのへ新聞・1924年12月11日掲載 これからは寒國特有のスキー・スケートの 冬季運動が巾を利かせる時期で、高田、青森、北海道のスキー、諏訪湖のスケートと各地とも準備をさ□□忙りなく雪や御参なれと待ち構てゐるが雪國で 雪に惠まれない八戸ではスキーなどは思ひも依らないが其の代り特有の寒氣はスケートの方に惠れ近年益々盛んになつて來た中學校、女學校でも冬期に於ける唯一の 体育競技として氷上運動會を催すなど今では夏季の水泳運動と相まつて欠くべ可ざる體育科目となつてゐるスケート場(勘太郎堤)の如きは他に餘り類のない立派なものである 第一町内に在ると云ふ便宜と雪が尠くまた諏訪湖等より期間が長いと言ふ全く理想的なものであつたが「町發展の爲め」と云ふ、つれない理由で 今冬から貯水まかりならぬ事となつた、これを聞えた高女校の諸嬢を始め先生方の間に悲説が起つたので三田校長すは一大事と役場へ出頭、今年ばかりは許可して貰ひたいと 再三再四交渉の結果少し位なら大目に見ると云ふ事で生徒諸嬢の爲め毎日勘太郎を睨め、まだかまだかと貯水に務めてゐるから 例年の如く廣くはないが悲観する程でもないからうこれに就て三田校長語る「現在學校では五十餘足のスケートを備え附けてあります、役場で堤の水を涸らしたので最う駄目かと思ひましたが交渉の結果今年丈けはどうにか間に合せるに好い様です、尚來年からは附近の水田を借り受けてやり度いと思ってゐます」云々 |
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関連ワード | 新聞記事、 はちのへ新聞社、 勘太郎堤、 水涸れ |
資料ID | 001SAS_00074 |