資料名(ヨミ) | スケートユウギノジドウデキシ ケッヒョウハカイシテ シモナガトルイケデ (ハチノヘシンブン・1920ネン1ガツ22カケイサイ) |
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ジャンル名 | 新聞記事 |
時代 | 大正 |
西暦(和暦) | 1920年(大正9年) |
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施設名・地名 | 類家堤(勘太郎堤) |
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解説 | はちのへ新聞・大正9年1月22日掲載 去る十八日午后三時頃下長苗代村大字河原木字八太郎廿七番地萬治四男工藤武雄(一〇)は朋輩なる居村留吉孫原田田次郎(一二)佐太郎二男下村竹男(不詳)仁助五男高橋又吉(一〇)長松孫原田末五郎(八)兼吉孫高橋松之助(一〇)の六人連にて居村八太郎沼に於てスケートの遊戯中近頃の温気の為め薄氷破壊しアハヤと見る間に一同水中に墜落せるを附近に居りたる工藤サメ発見シ救助を叫ひたるより之を聴付けたる仝村原田仁太郎直ちに現場に駆付け水中に踊り込て救助に努めたるが武雄の他五人は引揚けたるも武雄のみは見當らず其後武雄實父萬治は舟を浮べて捜索し漸く鍵を以て仝人を引揚けたるに既に縡切れ蘇生するに至らず仝日午后七時頃係官医師出張検視の上遺骸は父萬治に引渡されたりと云ふが又も去る十九日午后四時頃當町大字類家一號十番地寅次郎長男寺下千松(一一)は朋輩なる仝字兼吉子息類家市太郎他二名と共に大字類家俗稱(ぞくしゃう)勘太郎堤に於てスケート遊戯中當時仝所の結氷厚さ僅か一寸許(ばかり)の事とて破壊し千松を首め(はしめ)一同水中に墜落したるを前記市太郎父類家兼吉大村鉄五郎寺下與太郎等の人々発見し大に驚き直ちに現場に到り一同を救ひ上げたるも千松のみは遂に溺死を遂けたりと云うふが係官医師出張検視の上千松の死体は父寅次郎に引渡されたりと |
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関連ワード | 新聞記事、 はちのへ新聞社、 事故、 勘太郎堤、 八太郎堤 |
資料ID | 001SAS_00079 |