資料名(ヨミ) | シンセイノイツカヲキシ カンタロウツツミニテスケートクラブハッカイ (ハチノヘシンブン・1924ネン12ガツ25カケイサイ) |
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ジャンル名 | 新聞記事 |
時代 | 大正 |
西暦(和暦) | 1924年(大正13年) |
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大会名 | |
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施設名・地名 | 類家堤(勘太郎堤) |
開催場所マップ | こちらをクリック(別ウィンドウで開きます) |
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解説 | はちのへ新聞・大正13年12月25日 当地唯一の冬季屋外運動スケート場勘太郎堤が早魅の影響から水涸れの為め少なからずスケートマンの意気を消沈せしめたが 好運にも三田八高女校長の運動に依り一部入水が出来て見事に氷が張り昨今スケートファンの喜悅唯ならぬものだが其れ以前に東都遊学中の学生連は入水 不能と聞いて冬季地方運動界のためにと帰郷の上は町当局者に運動してスポーツマンの希望を達せんとの希望であつたが帰郷すれば前記の通りなので少なからず其 措置に感謝しそれに酬んとて早大生福井、高島、明大卒業清水、慈惠大、藤田、上野、青山、福田の諸氏等が中堅となり此冬 季休業を利用し来る一月の五日を以てスケート倶楽部を設置し大々的に勘太郎堤に於て発会式を挙行する筈である 福井氏を訪ぬれば氏は「初め私達は東京に居る時に勘太郎堤に水が入らないと思つて□る町当局の運動に對する理解がないと 憤慨して居りましたが帰郷して見るとあの通り一部凍つて居つて何等差支ひないので非常に当局に感謝して居りますそれで私達は主となつて今回スケート 倶楽部を発会する事になりました來月はコーチを頼んで來てスケート講習会を開催したいと思つて居りますからどうぞ一つ後援をお頼みします」と語つていた |
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関連ワード | 新聞記事、 はちのへ新聞社、 勘太郎堤、 スケートクラブ |
資料ID | 001SAB_00086 |